マニキュアの語源・・・ネイルケアの始まり?

「マニキュア」と聞くと、小さなハケ付きのボトル入ったカラフルなネイルエナメルを想像される方も多いのではないでしょうか?
日本のおいてマニキュアとは、一般的に爪に塗るネイルエナメルの事とネイルの施術の両方をさしています。
本来はラテン語の「マヌス」(manus=手)と「キュア」(cure=手入れ)からきた「手の手入れ」の事で同様に、ペディキュアは「ペディス」(pedis=足・キュア)が変化したもので「足の手入れ」をさします。
元々は、ネイルケアを含む、手全体のお手入れを表す言葉だったのですね。
古代エジプトではネイルは”階級”を示していた?
赤が好まれ、ネイルケアの記録も…
ネイルの歴史はかなり古く、古代エジプト時代(紀元前3000以前)から営まれていたといわれています。
ネイルの技術というよりは化粧(手・顔・身体を含むすべての部位に対しての彩色を施していくこと)全般の中の一つの部位に対しての彩色としてスタートしたと思われます。植物のヘンナの花の汁を用いて爪を染める風習がありました。古代人は特に赤色好んでいたといわれ、太陽の赤、血の赤をあらわし、神聖な色として尊ばれていました。
更にエジプトの古い資料に第6王朝の頃に清潔に保つためのマニキュアを男女共に行っていた記録があります。
こんな太古の時代から、指先を清潔に保つためのお手入れがされていた。ということですね。
爪の彩色の始まり
半面、化粧すなわち爪の彩色の始まりは呪術的な意味を強くもっていました。また、ミイラの爪に彩色が残っていたことや、古墳の死骸近くの土やその人骨が赤く染まって発見された事より、朱(水銀朱)は防腐剤としての効果があるということを知って使っていたのではないかといわれています。王の復活を信じていた古代の人々の思いがうかがわれますね。
古代エジプト時代にはスキンケアのような美容術や、ヘアカラーなどもあり、美容に関してはそこからギリシャ・ローマ時代へと引き継がれていきます。当時は爪の色が身分を表し、王と王妃は濃い赤、その他の者は薄い色しか許されなかったといいます。
つまり、古代エジプトにおいてのネイルは、もともとおしゃれ目的ではかなったということなのです。
日本のネイルは飛鳥時代から
日本におけるネイルの歴史は海外よりも浅く、645年頃(飛鳥時代)が始まりだったといわれています。
また、古代エジプトのネイルが階級を示すものだったのに対し、日本では飛鳥時代からおしゃれ目的でネイルが行われていたという違いもあるのです。
なお、飛鳥時代にはまだ顔料や染料が発達していなかったため、天然の赤サビなどを用いて爪に彩りを添えていたとされています。
その後平安時代を迎えると、ホウセンカとホオズキの葉を用いた染料が誕生し、女性たちの間に広く浸透したといわれています。
現代のネイル事情
マニキュアが登場したのはいつから?
現在では、当たり前のように使われているマニキュアですが、日本国内でマニキュアが市民権を得たのは1970年代で、専門のネイルサロンが登場し始めたのは、1980年代を迎えてからです。
そして、このころから「ネイリスト」「ネイルアーティスト」という専門的な職業が認知されるようになりました。ちなみに、この「ネイリスト」という言葉は日本で作られた造語で、海外では「マニキュアリスト」という言葉が一般的です。
現在では、マニキュアだけでなく、ネイルチップやスカルプチャ、ジェルネイルなど、幅広い方法でネイルのおしゃれを楽しむことができます。
コロナ禍を背景にネイルケアの需要が高まる
2020年に始まった新型コロナのパンデミックの影響で、長年続けていたジェルネイルをやめ、地爪に戻す方も増えたのではないでしょうか?
そのような事情もあり、ネイルケアの需要は高まってきていると言われています。
ジェルやマニキュアをしないからといって、おしゃれに無頓着なわけじゃない
そんな方々のために、NyarNail.では、ネイルのお悩み、ネイルケアの方法、指の使い方、おすすめネイルケア用品、爪の構造、爪に必要な栄養素・お料理レシピなど、みなさまのお役に立てる情報を発信していきます。
甘皮ケアの方法がわからない、爪の形が悪いなど、爪に関する悩みは誰でも持っているものですが、原因や方法を知らなければ、いつまでたっても悩みを解決できません。
当サイトは、そんなあなたのお役に立てるサイトを目指していますので、爪の悩みやネイルケアの方法でお困りなら、ぜひ参考にしてくださいね。